コロナ禍なので過去写真をアップします
私のコロナ禍前の最後のアンヘレス詣が2020年2月中旬なので、そろそろ1年が経とうとしています。
昨年の10月にパスポートも失効したので国際線の飛行機に乗ることすらできません。
このブログも放置して半年以上が経ってしまいました。
アンヘレス大好きな皆様、いかがお過ごしでしょうか?
コロナ禍前のアンヘレスには、まだ数年は戻らないと考えています。いや、もう戻ることは無いとも…(個人の感想です)
でも、アンヘレスでは15年以上の長きにわたり散々遊んだので十分と言えば十分かな?と自分に言い聞かせてみたり…
お正月休みの9連休に、現地フィリピーナの過去写真なんかをニヤニヤ眺めていたら、フィールズ界隈を集中的に撮影したスナップ写真があったので掲載してみようと思いたちました。
そもそも、フィリピン関連のブログを書くなんて1ミリも思っていなかったので、アンヘレスデビュー当時は写真も撮影していません。ちなみに、このブログは2009年8月から書いてます。
貴方がまだ、アンヘレスの「ア」の字も知らなかった頃かもしれません。アンヘレスへのアクセスが不便だったし、使い勝手の良いCMSも無かったので整理されたネット情報も無く、苦労して知識を積み上げていました。
何度もブログにも書きましたが「わざわざ行く」アンヘレスでしたから。
コリアンカスタマーは殆ど居なかったし、日本人も日本人人気のホテルでチラホラ見かける程度で、バーでは殆ど遭遇することもなかったですね。バー娘にも「さっき日本人が来てたけど、貴方の友達?」なんて聞かれたことも一度や二度ではありません。日本人が珍しかった、そんな時代です。
ちなみに、バーファインは、1,200php~1,300phpくらいだったと記憶しています(多分)
だから、パートナーを連れ出す際に、その友達とかも私も飲みたいから連れて行って!って感じで頼まれて、ぞろぞろ連れ歩いて飲みに行くことも多かったですね。バーホッピング、バーハッピーとか言ってましたが、ごくごく普通の行為でした。
キングサイズベッドなら、90度横になって寝ると5人までは寝れるから。なんてアドバイスも当時の在住の方からいただきました。笑)
アンヘレスのフィールズAve.のバーの写真
左より、コヨーテ・アグリー、ブラウンシュガー、クラブ・キャメロット、アラスカバーになります。
ナタリアホテルも見えてますが、裏手の新館はまだ建設中ですね。ただ、今となっては新館も含めて老朽化したホテルですけど。笑)
アラスカ・バーは、何年か前にアンヘレスの取り締まりが厳しくなるとの事で、早々にスービックへ移転しました。
酔っ払ってブラウンシュガーで壊れていました。この店で意気投合したバー娘とはボラカイへも行きました。以降のバー娘とも良い思い出が沢山あります。大好きなバーでした。
ひどい[最悪の]ブスの、ひどい面の、ひどく醜い◆【語源】酒に酔っぱらった男が美人そうに見える女を引っかけてホテルに連れ込み、一夜を過ごした。ところが、翌朝になって目が覚めてみると、彼女はとんでもないブスだった。彼は今すぐ逃げたいのだが、彼女に腕枕をしていたものだから、腕を動かすと彼女が目を覚ますかもしれない。従って、わなに足を挟まれたコヨーテが自分の足をかみ切ってまで逃げるように、彼は自分の腕をかみ切って逃げるしかない。coyote uglyとは、そこまでしなければならないほどの最悪のブスという意味。
出典:英辞郎
写真右の女性のシルエットのあるバーは、バニーランチだったかな?
現、SOYA(消夜)がある辺りの黒くペイントされたバー、ハニーポットは、あまり記憶がありません。
エンジェル・ウィッチ、ロードハウスです。アジア人には敷居が高いバーですが、1人、2人とお馴染みさんをつくると欧米人カスタマーの中に独りで居ても楽しめました。
左手がミニレストランや、カラオケ店があった頃のミッチェルアベニューです。右手がフィールズのメインストリートです。
ウォーキングストリートゲート(西ゲート)は、まだありませんね。ここにデカデカと、ウォーキングストリートと書かれているので、ゲートが出来た以降にアンヘレスデビューした方々は、ウォーキングストリートと呼ぶ事が多い様ですが、古参の方々はフィールズと言う方が多いように感じます。
バーもオーナーチェンジでコロコロ名称が変わったので、長く続いた旧名で呼ぶことが多いのと同じです。
ゲートが出来た直後はパタヤと同様に、小さ目でしたがテレビが上に設置されていました。ですが、早々に撤去されてしまいました。
カルーセルバーです。開店当時からステージを回すモーターが良く壊れていました。ここも入り浸っていました。この年の1月か2月がオープンだったと思います。コリアンバーも殆ど無く欧米人ばかりだったので、色々なバーで深夜にリンガーベルが鳴り響いてました。
メガダンスセンターの入っているビルの辺りは、ずっと空き地でした。3階まで吹き抜けのアトランティスもまだ建設中です。
みんな大好きドールハウスです。真新しい外観です。白手袋のアノ踊りはこの頃からありました。ドールハウスがまだグループ店で無かった頃です。
近年は衰退の一途ですが、この後は良くも悪くもアンヘレスを何年もリードしてきました。
DMZバー、ゲッコーズ、ロリポップです。2店は現在も健在でしたね。ゲッコーズは数年後に一時大流行した時もあって、アンヘレスに到着したら、先ずはゲッコーズへ。なんて合言葉にもなってました。
ジギーズ、ラ・バンバ、ラプソディです。ジギーズとロリポップは、現在ロリポップとして営業していますが、センターのステージで背中合わせで2店舗だったと記憶しています。
OWL’S Nestの左隣は記憶に残っていません。右隣がラ・パシャです。コロナ禍前の内装は大規模な改修をした後です。パシャはパシャグループとしてこの後に繁栄していました。一番好きなバーグループでした。
クラブ・ラスロットは4thアニバーサリーの横断幕が出ています。その右のハートマークのバーはトレジャーアイランド裏の旗地になっているバーだったかな?その後に合体して1つのバーとなりました。現在細長く奥まで続いているのは、その名残です。
タイフーンの青と赤のペイントも懐かしいですが、これも塗り替えられての色だったかな?
タイフーンの右手の空き地もしばらく放置されていました。現在は、大箱のクラブXS(旧:フォービデン、その後にTAOでしたっけ?色々変わったので覚えてません)ですね。
ご存知、アンヘレスのランドマーク的なココモスレストランです。
奥の方に、アガシャ(現:勝負)と、ラスベガスの横断幕があります。この時はまだ、姉妹店でしたね。他にもあったかもしれませんが、記憶ではこの2店のみがコリアン経営だったと思います。
オーキッド・インのシンボルツリーも、この頃は切り倒されるとは思ってなかったでしょう。
パシフィックブリーズホテルの横断幕もあります。2006年12月がオープンだったようです。
右手のおっさんがたむろっているところは、ライブバンドバーだったかな?ドールハウス裏手のクリスタルパレスも当然まだありません。
左手には、(旧)セントラルパークホテルがありました。(現)セントラルパークタワーと真逆の場所が入口だったと思います。
残念ながら、ここまでしか撮影していませんでした。
この更に向こう側には、今も健在のシャンペーン、当時は一斉を風靡していた、ブルーナイル、(2F)ブルーナイルEX、ネロスなどブルーナイルグループがありました。当時は一番の盛況店でした。
ブルーナイルのショータイムの写真を掲載していましたが、グーグル様から指摘があったので削除しました。
ブルーナイルの上下に動くステージで当時は画期的で、しかも見応えもあって食い入るように見てました。他店でショータイムはあったかな?常時開催していたバーはココしか記憶にありません。
以下の投稿は、フィールズで失われた7つの事について書いています。一部重複もしていますが、昔のアンヘレスに興味のある人は、読んでみてください。
記憶を頼りに書きましたが、間違っている箇所もあるかもしれません。やんわりご指摘いただければ幸いです。
コメント
懐かしいですね。オーキッドインのツリーにサブデリシャス。ミッドナイトロディオは移転して今でも営業してますが以前の店では食事もできました。私がアンヘレスを訪れた頃のBF代料金はP1000で中には深夜0時過ぎにディスカウントするバーもありました。2003年頃にブルーナイルが出来,2007年には大型店が次々オープン。
その頃でしょうか、友人知人の間でアンヘレスまでいかに安く早くと行けるか情報交換をしました。近年、通い詰めた感が有り過ぎ馴染み店で酔い潰れるまで飲んでしまいます。
今の状況を見る限り、今年中も渡航は無理な様ですね。現地は数店バーがオープンしているようですが元の賑わい戻るのはやはり数年かかると私も思います。いい意味で空振りになると良いのですが。
BOBSさん、コメントありがとうございます。
私の記憶でもBFの最安は1,000phpだったと思います。当時はレートも5,000phpちょっとはあったし、宿泊費+3食+飲み代+BFx1でも余裕で1万円/日で遊べましたね。
マニラのナイトライフ処でも、それなりに安かったし、当時はやっぱりアンヘレスは「猿の惑星」っぽい語られ方だったのでアンヘレスまでわざわざ来る人は少数派でした。
安く早く移動できる交通手段は必死で探していました。
現状では、今年前半は確実に無理ですし後半も厳しそうですね。また、現地で会える日を楽しみにしています。